不登校も離婚も親が憎いも…。女性が自分を生きた時、子どもも自分を生きられる。
不登校も離婚も親が憎いも…。
不登校も離婚も親が憎いも…。
衝撃的なタイトルかもしれませんが、終わってしまえば過去のこと…。
不登校問題…。
離婚問題…。
親が憎い…。
これだけみると、重く感じますが、私は過去に全てやっていました。
でもね、今は分かる。
どんな問題も一緒。
現実的などんな問題を悩みとして出されても、今の私なら何てことなく、問題の根っこは意外に簡単に見つけられるのだ。
そう、表面に起こる問題の根っこは繋がっている。
それに気づくには、何十年という苦しみを味わってしまったが、今それが私の仕事として誰かの役に立ってるのだから、有り難いことだ。
これが人間関係でも、子育て問題でも、夫婦問題も、兄弟間の問題も、恋愛問題も。
ちょっと違うのは、お金や健康問題かな?
すべての表面に現れる現実は問題ではない。
お金や健康問題は自分の内面だけでは済まされない問題だから、内面を整えれば解決とは言えませんが、大抵の問題は共通している内面の深層の思い込みがあります。
私のあらゆる問題の共通する根っこの思い込みは『この世界は不幸だ』です。めちゃくちゃな不幸体質の不幸自慢女だった。
『この世界は不幸だ』から、そりゃー様々な問題が勃発して、不幸な目に遭うのも当然です。
自分でこの世界を不幸だと決めているのですから。
何が一体原因なの?
そう、つまり今目の前にある沢山の問題は、同じ源から発生していることが多い。
それが、自分が意識もしてない頃から思い込んでしまった『この世界は〇〇だ』という世界の見方。
もしも、 『この世界は生き辛い』『この世界は苦しみだらけだ』と思っていることを知らずに生きていたら?
なんで、自分の身には辛いことばかり起きるんだろう?
同じように生活してるし、自分なりに一生懸命生きている。
いや、隣の〇〇さんよりもはるかに自分は頑張っているのに…。
そんな経験はありませんか?
何で気軽に適当に生きてるあの人は人生楽しそうで、こんなに一生懸命頑張ってる私はこんなに辛いのは何で?
人生不平等過ぎる!いつも私はそう思ってた。
人生が苦しいのは、そこだったのか。
そうです。思い込みなんです。
自分で全く気付かない無意識領域の思い込みが、あなたの生きる前提となってるんです。
『この世界は楽しい』『この世界では運がいい』『この世界では恵まれている』
そんな風にお隣さんが思っていたら?
『この世界は楽しい』『この世界では運がいい』『この世界では恵まれている』
そんな世界が目の前に展開するし、実際には楽しいことばかりでなかったり、運が悪いこともあったり、恵まれていないこともあったりしても、そもそもフォーカスしているのが『この世界は楽しい』『この世界では運がいい』『この世界では恵まれている』なので、常に良い場面を見れるようなフィルターを持っているのです。
そんなことを言っても、一瞬で世界は変わる。
これも事実なんです。
『私はこの世界で守られている』という世界で生きて来た人が、とんでもなく自分にとって衝撃的な事件が起こったら、その世界は一瞬で塗り替えられます。
トラウマ的なことですね。
大大大好きなおじいちゃんがいつも見守ってくれているから『この世界で私はいつも守られていて安心』と思っていた子どもが、目の前で突然おじいちゃんが死んでしまったら?
そうですね。
もう守ってくれる人がいないんです。
この世界は一瞬で『不安の世界』となります。
『私の大好きな人は私を置いていなくなる』という世界観も新たに作られるかもしれません。
そう、これは過去の私です。
忙しい両親の代わりに唯一大好きな祖父が側にいてくれたおかげで安心して暮らしていたんです。
それが、突然の安心の喪失。
好きな人の喪失。
二重の喪失のショックを受ける訳です。
その深い深い悲しみはなかなか表に出てこない。
そのような深い傷は残念ながら、不登校や夫婦問題などの現実に起きてる問題として上がってこないので、その悲しみや寂しさに気づけないまま大人になります。
恋愛でいつも別れが来る。
幸せになれない。
なんで?
それが、幼い頃の祖父の死の思い込みから来てるなんて、誰が気づくでしょうか?
そんな深い悲しみなどの未処理の感情も人生の邪魔をしています。
私は『私の大好きな人は私を置いていなくなる』という思い込みが原因で、恋人と幸せになりそうになると『壊す』破壊癖。
だって『私の大好きな人は私を置いていなくなる』という世界を展開しないといけないのだから。
でも、この悲しみは誰にもこじ開けられないほど奥に押し込めているので、なかなかその鍵を開けるのは困難なんです。
信頼できる人に少しずつ癒してもらう必要があります。
深く傷ついている人はそもそも人を信じられない人も多いので自分の気持ちを感じたくないし、自分の気持ちを話すことなんて恐怖でしかないですよね。
カウンセリングでも傾聴でも、話し手と聞き手が上手く成り立てばいいが、深いところまでいかないことも多い。
だから、その場で少し楽になっても、また少し経過すると、辛い日々がやって来る。
結局、深いところが探れてないし、根本的解決に至ってない。
自分を感じる奥の深い時間で自分の気持ちに気づいていく。
人に心を開ける人なら、問題解決や思い込みを見つけるのは簡単で解決は早い。
しかし、自分が傷つかないように奥深くに閉じ込めて感じないようにしている問題はなかなか表出しない。
どうしたら、この気持ちは出て来るんだろうと追求していた時期に、対話というものに巡り合った。
対話なら、こんなにも深いところの本音や過去に抑圧していた自分の気持ちが出てくるのだ。
対話凄い!
対話で私の世界はかなり広がった。
対話は、人間にとってこんなにも必要な時間だったなんて。
対話に出会って本当に良かった。
なかなか対話の良さを言葉にするのは難しい。
ヨガがいいよと言って、みんながヨガのファンになる訳ではないので、対話がいいよ言って対話のファンを増やそうとは思ってないが、対話の世界がこの世の中に広まっていったら、世界の紛争も減るのではないか。
組織でも、学校でも、夫婦でも、親子でも対話の世界があったら、心の繋がりが築けて、もっと深く繋がれるのだろう。
親や先生や大人たちが成熟し、子どもを広い器で受け止める事のできる世界へ
このギスギスした社会を穏やかに過すには、まずは大人たちが精神的に成長し、こころに余裕がある必要がある。
いつもここにたどり着いてしまうのだが、大人からこの世界を変えていく。
そして、子ども達の生きやすい世界へ。
すると、その子ども達が大人になった時に私のように苦しまなくて済む。
そのためにも、先ず子どもを育てる大人から変わろう。
私の継続コーチングでは、表面に出ている問題はどんな問題でも解決へ導くことが出来ます。
過去の抑圧を吐き出す。
ねばならぬや、自分はダメだ、自分には出来ないなどの、自分が気づかないうちに刷り込まれた概念を外す。
その先に自分の本音を感じる、自分と繋がる時間を持つ。
この工程を一緒に伴走します。
一人でも、仮の自分という鎧を脱いで、本当の自分を生きられる世界に生きて欲しい。
その時初めて、自分が自分を生きている実感ができるからです。
特に子どもを育てるお母さんを楽にしたい。
先ずお母さんが楽になることで、子どもが行きやすくなるからです。
更に、お母さんをお母さんでなく、一人の女性として、価値を高め、可能性を広げ、子育てや家庭に縛られず、自分主体で幸せに生きることを応援したいのです。